火薬御飯

Category :  NEWS
tag : 
占守島(しゅむしゅとう)の戦いは、おそらく政治的な理由から ごく最近まで
日本側も公式には認めていなかった「定戦後の戦闘」である。違法性云々
の論議よりも、歴史上の事実が黙殺されようとしていた事にこそ問題がある。
占守島の戦い(о.Шумшу)、
ポツダム宣言受諾玉音放送という自他共に認める戦争集結以降に、ドサ
クサに紛れて、被害者面をしながら侵略行為を続行していた国家があった。
その正否はともかく、勇戦した英霊を歴史から抹消するなど、断じて許され
ることではない。ソ連対日参戦後の侵攻の速さを考えるなら、占守島樺太
での、彼等の善戦がなければ、北海道がソ連邦になっていたであろうことも
冗談ではない。ロシア中国は 実効支配した土地を返還などしてくれまい。
占守島の戦い 1945年 九七式中戦車
北海道を思わせる緩やかな丘陵に旧日本軍の戦車が今も骸を晒している。
土地が痩せているように見える。島そのものの利用価値は高くはないようだ。
厳しい気象条件が想像できるが、それでも終戦までは水産業を営む日本人
が数千人も居住していた。これは尖閣諸島も同じ。間違いなく日本の領土だ。

弧状列島の日本は、南西諸島の先が台湾、千島列島の先にロシアが在り、
列島線上に国境があるため 領土問題の元凶ともなっている。占守島の先
は すでにカムチャツカ半島で直接ロシア領のため、日ソ双方とも国防上の
要衝だったはずだ。近年は領海の他に、排他的経済水域内での水産資源
や 周辺の浅海に埋蔵する鉱物資源を廻る利権争いに重点が移っている。

特二式内火艇らしき残骸。水陸両用戦車だが 海軍所属のため舟艇として
扱われていた。陸軍と海軍が共同で同島守備に当たっていたことがわかる。
特二式内火艇
九七式は47mm砲搭載型と57mm搭載の旧型の他、九五式戦車など装備
がバラバラだったが、終戦後まで戦闘が無く、備蓄が温存されていたため、
ソ連の揚陸部隊を相手に数日間の戦闘継続に耐えられた。その他150mm
加農砲1門、対戦車砲4門、速射砲3門、野砲2門等を有効に使い善戦した。
また同島には通信所とトーチカの他、飛行場も在り、一式戦闘機と九七式
艦上攻撃機がそれぞれ4機配置され、ソ連揚陸艦の攻撃に当たった。

現在、北海道に駐屯する陸上自衛隊 第11旅団 第11戦車大隊は、「士魂」
を部隊マークとしている。これは占守島で勇戦した 戦車第11連隊の通称
が「士魂部隊」であったことに因み、その精神を継承するものであるという。
陸上自衛隊 北海道 第11旅団 第11戦車大隊「士魂戦車大隊」
或は戦後の日本の政治家が馬鹿ばかりなのは、立派な人物は戦争中に
亡くなってしまったためだともいう。「戦後日本を支えた」と称する生き残り
達が減っていくに従って、真実の歴史や人物評が あらためて顕彰される
時期に来ている。戦争を讃美はしないが、歴史は正しく認識されるべきだ。
スポンサーサイト

テーマ:歴史雑学 - ジャンル:学問・文化・芸術

コメント


この記事に対するコメントの投稿
















この記事に対するトラックバック

トラックバックURL
http://nabe3rr.blog21.fc2.com/tb.php/481-e0247f2e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
プロフィール

nabe3rr

Author:nabe3rr
" I'll make you famous. "

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ

カテゴリー
ブログ内検索

RSSフィード
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード

QRコード